101歳、三笠宮妃百合子さまがご逝去
2024年11月15日朝、三笠宮妃の百合子さまが101歳で薨去(こうきょ)されました。大正から令和までの激動の時代を支え続けてきた皇族の一人として、その歩みには多くの人々が深い哀悼の意を表しています。
宮内庁会見「死因は老衰」
百合子さまの死因は老衰とされ、宮内庁の諸橋宮務主管は「謹んで哀悼の意を表する」と会見で述べました。また、皇室医務主管の永井良三氏によれば、百合子さまは2024年3月に脳梗塞と誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。回復と療養を続けながらも、全身の機能が徐々に低下し、11月15日早朝に容体が悪化、最期は血圧の低下に伴って亡くなられました。
皇室への貢献と生涯
百合子さまは、昭和天皇の弟である三笠宮さまとの結婚以来、長きにわたり皇室を支え、医療や福祉、母子愛育活動などに献身されました。皇族として日本の発展に寄与しただけでなく、母子愛育事業など福祉活動にも熱心に取り組み、国民から深く尊敬されていました。
ご遺体の安置と近親者の参列
ご遺体は東京の聖路加国際病院から赤坂御用地の宮邸に戻り、皇族や関係者が哀悼の意を捧げました。今朝には孫の彬子さま、瑶子さま、さらに高円宮妃の久子さまなどが病院に駆けつけ、最後のお別れをされました。
石破首相の謹話「心から哀悼の意を」
三笠宮妃の百合子さまの薨去を受け、石破首相は内閣総理大臣謹話を発表。「皇族として幅広い分野で貢献され、特に母子愛育事業に尽力されたことは国民にとっても大きな励みであった」と述べ、皇室と国民の代表として哀悼の意を表しました。
まとめ
百合子さまのご逝去により、皇室は16名体制となり、これまでの皇族のご功績が改めて尊重されています。百合子さまのような優れた人柄と、そのご貢献が、これからの皇室にとっても大きな指針となるでしょう。